女子高生コンクリート詰め殺人事件補論 -在日チョン・左翼・部落民はなぜ原理的敗北を喫するか-
2009年 03月 02日
加害者擁護派(いわゆる頭弱学派:とうじゃくがくは)による被害者非難のうち、彼らが柱としているのが次の2つである。
◆被害者が逃げなかったのは彼女が性的脈絡における期待をしていたためである。
しかし、これまで彼らがおこがましくも論証として提示した説明は次の文に集約される。(下記以外のものは、「燻製ニシン」や「わら人形論法」等々の、核心と関係のない初歩的な誤謬に満ちているため、取り上げるに値しない。)
●インターネット上で女を自称する人物による「見知らぬ者と性行為をしたが、楽しく、帰りたくないと思ったことから、被害者が帰らなかったことが分かる。」という趣旨の言明から、同じ女の意見は信憑性があるのであり、被害者が帰らなかったのは楽しかったからであるということが帰結する。
この考え方には3つの論点がある。それを論駁とともに示そう。
(a) 「見知らぬ者と性行為をしたが、楽しく、帰りたくないと思ったことから、被害者が帰らなかったことが分かる。」という、ある1人の女の見解を根拠としている。
⇒演繹法ではなく、帰納法に依拠している。
(b) 「ある女の意見はすべての女の意見を代表する。」という見解を表明している。
⇒実験すらせずに、ただ1つの事柄を以って全体を語るというのは、帰納法の使い方を誤っている。
(c) 「被害者が帰らなかった」という能動文を用いている。
⇒被害者の行為を制限するものはただ彼女の心理的根拠のみであるという先入見がある。
また、加害者擁護派による冒頭の言明は次の規範を含み持っている。
◆被害者が性的脈絡における期待をしていたならば、彼女を強姦、暴行、殺害をしてもよい。
実は、誠に残念ながら、この規範についても論証と呼べるような種類のものが提示されていない、稚拙な言明となっている。ここにおける前件によって後件が直接に導かれるならば、たとえば次の規範が正しくなると考えてもよいはずである。
◇被害者が現実世界から離脱し虚構世界へ行きたいと思っているならば、彼女を殺害してもよい。
この文は、先に挙げた、加害者擁護派による規範的言明と同様に、前件が後件の論理的根拠となり得ていないうえに、ある不思議さも備えている。すなわち、加害者擁護派によれば「ある者が性的脈絡において期待することと、彼を殺すことが繋がっている」のであり、それがいかに頭の弱いものとなっているかを示すための仮説によれば、「ある者を殺害することによって、彼は虚構世界で存在できるようになる」のである。)
また、この例が分かりにくいならば、次のように書き換えてもよい。(ただし、下記の文は「被害者が性的脈絡における期待をしていたならば、彼女を強姦、暴行、殺害してもよい」という命題とは異なり、不思議さを消失している。)
◇被害者が死にたいと思っているならば、彼女を殺害してもよい。
この場合、法律の正しさを前提しないならば議論が巻き起こるであろうが、いずれにせよ(すぐ上の文にせよ、被害者擁護派の規範にせよ)、法律を前提するならば即誤謬となり、法律を前提しないならば認識論と存在論についての最終回答が提出されない限り正しく「なり得ない」のである。
また、逮捕されなかった者や書類送検されなかった者を擁護する際の言明としては、そのまま「逮捕されなかったことや書類送検されなかったことが犯行を行っていないことと悪でないことの根拠である」としている。しかしながら、これについても前件から後件を推論することはできない。単に証拠不十分(証拠が揃わなかっただけ)や政治的な駆け引き(在日チョンの組織的妨害)という経緯があるだけかもしれないし、悪であるかどうかは法のみを基準にするのが正しいという判断も独断である。
◆被害者が逃げなかったのは彼女が性的脈絡における期待をしていたためである。
しかし、これまで彼らがおこがましくも論証として提示した説明は次の文に集約される。(下記以外のものは、「燻製ニシン」や「わら人形論法」等々の、核心と関係のない初歩的な誤謬に満ちているため、取り上げるに値しない。)
●インターネット上で女を自称する人物による「見知らぬ者と性行為をしたが、楽しく、帰りたくないと思ったことから、被害者が帰らなかったことが分かる。」という趣旨の言明から、同じ女の意見は信憑性があるのであり、被害者が帰らなかったのは楽しかったからであるということが帰結する。
この考え方には3つの論点がある。それを論駁とともに示そう。
(a) 「見知らぬ者と性行為をしたが、楽しく、帰りたくないと思ったことから、被害者が帰らなかったことが分かる。」という、ある1人の女の見解を根拠としている。
⇒演繹法ではなく、帰納法に依拠している。
(b) 「ある女の意見はすべての女の意見を代表する。」という見解を表明している。
⇒実験すらせずに、ただ1つの事柄を以って全体を語るというのは、帰納法の使い方を誤っている。
(c) 「被害者が帰らなかった」という能動文を用いている。
⇒被害者の行為を制限するものはただ彼女の心理的根拠のみであるという先入見がある。
また、加害者擁護派による冒頭の言明は次の規範を含み持っている。
◆被害者が性的脈絡における期待をしていたならば、彼女を強姦、暴行、殺害をしてもよい。
実は、誠に残念ながら、この規範についても論証と呼べるような種類のものが提示されていない、稚拙な言明となっている。ここにおける前件によって後件が直接に導かれるならば、たとえば次の規範が正しくなると考えてもよいはずである。
◇被害者が現実世界から離脱し虚構世界へ行きたいと思っているならば、彼女を殺害してもよい。
この文は、先に挙げた、加害者擁護派による規範的言明と同様に、前件が後件の論理的根拠となり得ていないうえに、ある不思議さも備えている。すなわち、加害者擁護派によれば「ある者が性的脈絡において期待することと、彼を殺すことが繋がっている」のであり、それがいかに頭の弱いものとなっているかを示すための仮説によれば、「ある者を殺害することによって、彼は虚構世界で存在できるようになる」のである。)
また、この例が分かりにくいならば、次のように書き換えてもよい。(ただし、下記の文は「被害者が性的脈絡における期待をしていたならば、彼女を強姦、暴行、殺害してもよい」という命題とは異なり、不思議さを消失している。)
◇被害者が死にたいと思っているならば、彼女を殺害してもよい。
この場合、法律の正しさを前提しないならば議論が巻き起こるであろうが、いずれにせよ(すぐ上の文にせよ、被害者擁護派の規範にせよ)、法律を前提するならば即誤謬となり、法律を前提しないならば認識論と存在論についての最終回答が提出されない限り正しく「なり得ない」のである。
また、逮捕されなかった者や書類送検されなかった者を擁護する際の言明としては、そのまま「逮捕されなかったことや書類送検されなかったことが犯行を行っていないことと悪でないことの根拠である」としている。しかしながら、これについても前件から後件を推論することはできない。単に証拠不十分(証拠が揃わなかっただけ)や政治的な駆け引き(在日チョンの組織的妨害)という経緯があるだけかもしれないし、悪であるかどうかは法のみを基準にするのが正しいという判断も独断である。
by l-game
| 2009-03-02 06:05
| 懐疑論思想チップセット