懐疑論思想チップセットを埋め込んでやる。


by l-game
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カテゴリ:闇鍋的( 3 )

  「「持続可能な開発」というのは偽善である」と評している者を見かけたが、この偽善を分析すれば以下のようになる。(ここでの議論は環境保護運動についても適用される。)
  私は、「持続可能な開発」や「環境保護運動」が、より長期的には人間中心主義に立脚しており、より短期的には利己主義に立脚していることによって発生したものであると見ている。それらの追求は、決して純粋に地球や他の動植物のために行っているのではなく、従来型の破壊的な開発を続けた場合、いずれ自らに跳ね返ってくるということに思い至ったために、方向転換しただけのことである。
  すなわち、旧型の人間中心主義が近視眼的、直接的であったのに対し、新型の人間中心主義は遠視眼的、間接的(一般人からすれば賢い、大人なやり方)なのである。人が生きていけないような環境になるまでにはまだ時間がある、したがってそうした事態に至る以前に死ぬと一般に思われるような人による持続可能性、ないし環境保護の提唱は、彼らの思想の背景に「人類は存在し続けなければならない」という独断があると考えれば説明づけることができる。他方、後者の利己主義とはどういうことかと言えば、持続可能性言説や環境保護言説が蔓延しており、その時流に乗らないと攻撃を受け、場合によっては生活していけなくなる、もしくは生活していけたとしても富裕層には加われないという理由から見かけ上の支持を行っているということである。
  むろん、なかには反人間中心主義的な意図に基づきそうした行為をしている者もいると思われる。しかしながら、反人間中心主義も突き詰めれば人間中心主義に転じることとなる。それは、結局のところ人間の言語で考えているからにほかならない。(動物の感覚や感情を人間の言語で代弁することなど果たして可能であろうか。)
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by l-game | 2009-03-02 06:13 | 闇鍋的
  われわれは、実姉に欲情する者どもを2種類に区分することができる。すなわち、実姉絶対王政と実姉帝国主義とがそれである。

  実姉絶対王政とは、実姉にすべての権利や権限を委ねる立場であり、弟の鑑であると言える。この立場によれば、弟は実姉の意向を最大限汲み取り行為することになる。たとえば、実姉が、自分の発言したことを忠実にやればよいのであって、余計な配慮は不要であるという態度をとっていれば、弟はそのとおりにするし、反対にすべてを言わせるのではなく、主体的に自分のために行為してほしいと願っている場合にも、弟はそのとおりにする。
  つまり、この立場における弟は、実姉の思いどおりになることが自分の幸福であると考えるのである。したがって、精神的に優位に立つのは常に実姉であると言うことができる。

  これに対して、実姉帝国主義とは、実姉絶対王政を含み、そのほかにも性的観点からみた実姉の価値を絶対化し、全人類がその価値に基づき行為するように強要する立場まで含んでいる。したがって、実姉絶対王政型でない実姉帝国主義においては、それを唱える者は実姉を自分専用の淫乱肉奴隷にしようと目論む、日常レベルの用法における変態である。(彼が科学者となったとき、周囲の者は彼をマッド・サイエンティストもしくはそのまま変態科学者と呼ぶだろう。)
  ここで注意しなければならないことは、淫乱肉奴隷と言っても、必ずしも厳しい調教を含むものではなく、したがって実姉に悲壮感や絶望感が漂っているとは限らず、また性交だけを望むような状態であるとも限らないということである。たとえば、弟としての私の理想的状況は、開始時点から実姉がこの私の淫乱肉奴隷になることを望んでいるというものであり、これは言い換えれば性的脈絡においても、非性的脈絡においても実姉と仲が良いという状況である。
  なお、非実姉絶対王政型実姉帝国主義においては、弟も精神的優位性を得られる可能性はある。(弟が精神的優位性を得られるかどうかは、ただ弟が実姉といかなる関係性を持つことを望んでいるかという点にかかっている。私はもっとも好ましい実姉に対しては精神的優位に立つほうを選ぶが、それは通常のものに比べてより複雑なものである。具体的には、実姉に自分は弟よりも優位であると思い込ませて、その状況を楽しむというものを望んでいる。)


【姉教団の派閥】

◇実姉派……「姉と言えば実姉以外になーし!」という主張をする人びとの派閥。さらに、実姉絶対王政派(穏健派)と実姉帝国主義者(急進派)に分かれている。
◇姉一般派……「姉的なもの全部好きだよ」という無節操派と「実姉を否定しないが、積極的に好むわけではない」寛容派からなる派閥
◇反実姉派……「実姉に欲情するなんて信じられない」という人びとが形成する派閥で、「実姉以外全部に食指が動く」無節操派、義姉派、従姉派、隣人派に細分化される。(←この派閥を姉教団に含めてもよいものか、と悩んでしまうところではある……。)


  なお、私的実姉創造史については、忘却している部分もあるので省略する。
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by l-game | 2009-03-02 05:14 | 闇鍋的

淫乱肉奴隷思想

  私が対象を淫乱肉奴隷であると判定する基準は以下の2つの必要条件による。

◇必要条件
(a) 性的脈絡における評価:私の好む総体的外見=顔のつくり、表情、雰囲気、身なり〔髪型と服装〕、体型、立ち居振る舞い、声質、話し方、およびそれらの全体的な現れをしていること(いわゆる外見的要素が好きであること)
  →「好む」というのは、「許容する」よりも厳しい基準であるが、必ずしも「選好している」必要はない。(たとえば、大学で実施される100点満点の試験において最高判定が確定する境界線が90点であると仮定するとき、「選好」は90点に該当し、「好む」は及第点である80点に該当し、「許容する」は可と不可を分かつ基準の1つである50点に該当する。)
  →この条件を満たせば「欲情対象」となる。
(b) 社会的脈絡における評価:一般人でないか、一般人と非一般人の境界に位置していること(一般化するならば、いわゆる外見的要素が好きであること、かついわゆる内面的要素が嫌いでないこととでもなろうか。)
  →必要条件(1)とこの条件を満たせば「性交対象」となる。

  さらに、次の2つの十分条件を満たしていればより良い淫乱肉便器であると言うことができる。

◇十分条件
(1) 性的脈絡における評価:私が好む、あるいは望むような思考、発言、行動/振る舞いを計算によらず、自然と行うこと(いわゆる外見的要素が好きであること、かついわゆる内面的要素が好きであること)
  →私の感覚を読み取って、そうしたことができるのではなく、私の感覚と自然に一致しているためにそうしたことができるのである。ただし、注意してもらいたいのは、この条件は従順であることを意味しないということである。(なお、私が好む思考、発言、行動/振る舞いの具体例を挙げることは、現状では能力的にできないため、省略する。)
  →必要条件(1)と必要条件(2)を満たしたうえで、この条件を満たせば「恋愛対象」となる。
(2) 社会的脈絡における評価:実姉であること、あるいは私に対して「無条件の肯定的配慮」(ロジャース(Carl Ransom Rogers)の来談者中心療法より)を自然と〔無意識的に〕行うこと
  →他の3つの条件を満たしたうえで、この条件を満たせば「信頼対象」〔信頼度が98%〕になる。

  図で表すと次のようになる。

【淫乱肉便器マトリックス】

                 必要条件
 ┌────────────────┬────────────────┐
 │                │                │
 │<性交対象>          │<欲情対象>          │
 │                │                │
社│非一般人、一般人・非一般人の境界│総体的外見が及第点       │性
会│                │                │的
的├────────────────┼────────────────┤脈
脈│                │                │絡
絡│<信頼対象>          │<恋愛対象>          │
 │                │                │
 │実姉、無条件の肯定的配慮    │自然な同化           │
 │                │                │
 └────────────────┴────────────────┘
                 十分条件


  また、淫乱肉便器や淫乱牝奴隷という表現もこれと同一のことを指し示している。

  なお、淫乱肉便器候補とは、総体的外見が私の設定している基準を超えているだけの存在者をいう。つまり、淫乱肉便器の必要条件のうち、性的脈絡における評価についてのみ基準を満たしている者ということである。ただし、現実という虚構以外の虚構世界の存在者、さらに実姉については、本来的に淫乱肉便器候補であっても、淫乱肉便器と呼ぶことがある。(対虚構寛容原理、対実姉寛容原理,注:虚構と言ってもあくまでもこの世界を基準にしての虚構であって、この世界もまた虚構である可能性は十分にあることに注意せねばならない。なお、私が認識している、現実世界における淫乱肉便器候補は2007年4月12日現在いない。(容貌以外の身体だけで選定するなら存在するが。))
  他方、準肉便器とは、肉便器認定される女の範囲が拡大を極め、収拾がつかなくなったために私が考え出した語で、欲情した受け手によって淫乱であるとされた(この種の受身形で記述せざるを得ない、あるいは受身で記述する能力しか持っていないことは遺憾である)女をいう。(したがって、本来的な肉便器であるとは限らない。肉便器という語の指示は、時代によって、さらには場所によって異なっているように思われるが、その場合、どれが絶対的な基準となるのか、それとも相対的なのか、あるいは理論とともに変化するということを絶対化することができるのかということが問題である。なお、準肉便器という語を案出するに際して、サイモン・ブラックバーン(Simon Blackburn)の準実在論を参考にしたことを付言しておく。)

  さて、総体的外見についての要求に限ったことではないが、「そのような女はいない」といったような言明がなされることがある。それが単なる感覚報告である場合には不問に処すが、「そのような女はいないという信念が正しいということを正当化している」、あるいは「そのような女がいると考えてはならない」ということを主張している場合には論証を要求する。
  特に後者は、先述したように優れて趣味の問題であるから、他者が自らの趣味を制限することに正当性があるという主張になっていることにも注意してもらいたい。もっと言うならば、「自らについてはありのままを受容してほしい」と思い、かつ「相手にはこうであってほしい」と思うのは二重基準ではないないということである。この事例を二重基準に変形させるならば、「「自らについてはありのままを受容しなければならない」という信念を持っており、かつ「相手はこうでなければならない」という信念を持っていること」となる。
  なお、「そのような女はいない」と誰かが言うような女がこの世界に存在する、あるいは可能世界に存在する、さらにはどこにも存在しないが仮想的に存在するという設定を行う者が注意したほうがよいと私が考えるのは、「そのような女がいなければならない」、あるいは「女であればそのようでなければならない」と考えるならば、「そのような女はいない」と言明する者と同じ愚を犯していることになるということである。
  最後に、(淫乱肉便器ではなく)肉便器という語については一般的な使用法に従うこととする。他方、性的公衆便所という語は、一般的には肉便器と互換可能なものとして扱われているが、私は先述した必要条件の双方を満たしていない女を指示する語として用いていることに注意してもらいたい。


  補  遺

  星島さんは、私が言うところの淫乱肉奴隷を欲していたと思われるが、星島さんのやり方では有象無象の肉便器しかでき上がらない。そもそも、この世界の構造を考慮するならば、この世界には淫乱肉奴隷が顕現し得ないという帰結が得られるのである。
  それを見抜けなかった点、あるいはその事実を受け入れられなかった点が星島さんの敗因である。
  しかしながら、星島さんが結果的に行ってしまったこと、すなわちある種の殺人は倫理的に正しいので称揚されるべきである。(すべての殺人が倫理的に正しいというわけではなく、なかには倫理的に誤った殺人もある。たとえば、在日チョン、部落民、暴力団、さらにはそれに類するDQNによる殺人は、いや殺人どころか呼吸することさえも問答無用で悪であるので、それら裁判についての裁判員になった際には議論の開始時点で有罪に1票を投じ、以降は議論に参加しない予定である。)


淫乱肉便器候補生リスト
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by l-game | 2009-03-02 05:14 | 闇鍋的