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懐疑論思想チップセットを埋め込んでやる。


by l-game
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◆日本国内の農家は諸外国の農家と比較して恵まれているので、日本国内の農家は現状の苦痛を甘んじて受け入れねばならない。(もしくは現状を苦痛と考えるのは誤りである。)
という言明における問題は少なくとも3つある。

(1) 「日本国内の農家は諸外国の農家と比較して恵まれている」というのが正しいとして、当該言明から帰結する、特定の職業にある者は奴隷的な立場であることが正しいという規範はいかにして正しいと言えるか?
  →核心はこうだ。件の言明は、奴隷化競争を誘発し、進展させることによって、奴隷的な者どもを死に至らしめ、以って発言者として想定される「はずの」いわゆるエリートは食べ物(に限らず衣服や住居、工業製品まですべて)を自らで用意せねばならないということになるが、そうなればそれまでの彼らの生活(天下り、株取引、役員業務など)は成立しなくなる。(語用論的背理法にも反する?)
   しかし実際には、この問題においてそのような原理的な/根源的な考え方を用いるのは誤っているのかもしれない。(私が陥った懐疑主義の隘路という経験を参照すれば、原理的/根源的な追究をただひたすらに行うだけで問いに対する答えが判明するのではない、あるいはそのような行為では問いの立て方を誤る可能性があるという示唆が得られるのである。)

(2) 「より下を見るのが正しい」(「より下」というのは件の言明を行った者が持つ背景的判断であるという私の判断である)という規範を独断的前提にしているが、そこからは最低に位置するもの以外に陥らない限り、すべて耐え忍ぶのが正しいという規範が帰結される。
  →また、そうした独断は、「最低」というのがいかにして決定されるかという問題をも含んでいる。(頭の弱い者ならば、他者における最低の状況をかってに設定する、より厳密には多数派の感覚や感情によって最低とは何かを統一しようとし、それを強要するであろう。)

(3) 「日本国内の農家は諸外国の農家と比較して恵まれている」という認識はいかにして正しくなるか?(認識論の問題であって、日常レベルの問題ではない。)
  →日常レベルの問題として捉え直した場合には、国家間の経済格差を無視した議論は正しいかという問いが浮かび上がってくる。これに対して、経済格差を無視しているのではなく、経済については国家という枠を取り払って(グローバルに)考えねばならないのだという反論もあるかもしれないが、この主張についても根拠づけが必要となってくる。
# by l-game | 2009-03-02 06:08 | 懐疑論思想チップセット

予言の独断的前提

  予言というのは決定論を前提しているが、決定論は正しいか、正しいとするならばそれはどのようなものか〔どのような決定論が正しいか〕ということに対して絶対確実に正しい回答を与えない限り、そうした問題の上に成立している問題を議論をしても空虚である。
  なお、現時点では一階述語論理より先の論理は絶対確実に正しいかどうか分からないとされている(と思う)ので、数学でさえ絶対確実に正しいとは言えない。(これは、数学が今後も絶対確実に正しいと言えるようにはならないということではない。あくまでも暫定的な言及である。)
  補足するならば、数学で用いられる公理のすべてが絶対確実に正しいかどうかが最大の問題であるが、絶対確実とされている演繹(という過程もしくは関係性)にも問題がある可能性はある。それは、演繹という日常言語とまったく独立にその指示対象を取り出せるかという問題である。(ということは、命題論理や一階述語論理も隘路であるかもしれない。)つまり、実在論と反実在論(ただし観念論だけに限定されない)のいずれが正しいか、もしくは真偽未決かということである。
  この議論ではある可能性が見落とされていると思われた者もいるかもしれない。その可能性とは、一階の絶対確実性などというものはなく、ただ二階の絶対確実性があるのみであるとする立場の可能性である。これは、言い換えれば「いかなる科学理論の正しさもある特定の時点で固定化されることはなく、それらは改訂され得るのであるが、そうした過程こそが絶対確実に正しい」ということである。しかし、私は上記で、その立場が絶対確実に正しいかということも問うているのである。

――予言なんて簡単だよ。太陽系第三惑星上の生命はグレゴリオ暦2999年12月31日に消滅するか、しないか、そのいずれであるかが未決であるかのいずれかである。ほらね?
# by l-game | 2009-03-02 06:07 | 懐疑論思想チップセット

平等の実現可能性

  「機会の平等は善い平等であるが、結果の平等は悪い平等である。」という趣旨の言明があるが、私の感覚では機会の平等が実現し得るとは到底思えない。そのように思う理由は以下に示すとおりである。

  ◆平等の条件
  (a) 実在論が正しい場合→実際に容貌や性格や能力などのすべての性質が人類間で同一であること
  (b) 反実在論が正しい場合→容貌や性格や能力などのすべての性質が同一であると各人が各人について(認識せねばならないという意識ならびに無意識を抜きにして)認識すること
  (c) 第3の可能性→実在論的見解か反実在論的見解かにかかわらず、各人が各人に対して(等しく接しなければならないという意識ならびに無意識を抜きにして)等しく接すること

  なお、上で実在論が正しい場合には、同一とは関係ではないという点を考慮するならば、人類が同一であるためには人類が1人でなければならないということになるが、人類は1人で構成されているのではないため、人間社会で平等は実現しないということが帰結するのである。
# by l-game | 2009-03-02 06:07 | 懐疑論思想チップセット

いわゆる左翼の誤謬

  インターネット上でネット右翼なるものを攻撃している者が左翼であるとするならば、左翼が誤っているのは他国の(ネット)右翼の言動を無視している点である。右翼的言動なるものが悪であるならば、それが自国のものであるか他国のものであるかにかかわらず悪であると考えねばなるまい。(わが国における右翼/左翼の分類法は誤っているとの指摘もあるため、「なるもの」という表現を使用した。)
  なお、この反対の議論、すなわち「ネット右翼が誤っているのは他国の左翼の言動を無視している点である」という議論は成立しない。なぜならば、右翼という語には、独身者が結婚していないことを含意するのと同様に、自らが属する国家のみを対象とすることが含意されているためである。
# by l-game | 2009-03-02 06:06 | 懐疑論思想チップセット
  加害者擁護派(いわゆる頭弱学派:とうじゃくがくは)による被害者非難のうち、彼らが柱としているのが次の2つである。

  ◆被害者が逃げなかったのは彼女が性的脈絡における期待をしていたためである。

  しかし、これまで彼らがおこがましくも論証として提示した説明は次の文に集約される。(下記以外のものは、「燻製ニシン」や「わら人形論法」等々の、核心と関係のない初歩的な誤謬に満ちているため、取り上げるに値しない。)

  ●インターネット上で女を自称する人物による「見知らぬ者と性行為をしたが、楽しく、帰りたくないと思ったことから、被害者が帰らなかったことが分かる。」という趣旨の言明から、同じ女の意見は信憑性があるのであり、被害者が帰らなかったのは楽しかったからであるということが帰結する。

  この考え方には3つの論点がある。それを論駁とともに示そう。

  (a) 「見知らぬ者と性行為をしたが、楽しく、帰りたくないと思ったことから、被害者が帰らなかったことが分かる。」という、ある1人の女の見解を根拠としている。
   ⇒演繹法ではなく、帰納法に依拠している。
  (b) 「ある女の意見はすべての女の意見を代表する。」という見解を表明している。
   ⇒実験すらせずに、ただ1つの事柄を以って全体を語るというのは、帰納法の使い方を誤っている。
  (c) 「被害者が帰らなかった」という能動文を用いている。
   ⇒被害者の行為を制限するものはただ彼女の心理的根拠のみであるという先入見がある。

  また、加害者擁護派による冒頭の言明は次の規範を含み持っている。

  ◆被害者が性的脈絡における期待をしていたならば、彼女を強姦、暴行、殺害をしてもよい。

  実は、誠に残念ながら、この規範についても論証と呼べるような種類のものが提示されていない、稚拙な言明となっている。ここにおける前件によって後件が直接に導かれるならば、たとえば次の規範が正しくなると考えてもよいはずである。

  ◇被害者が現実世界から離脱し虚構世界へ行きたいと思っているならば、彼女を殺害してもよい。

  この文は、先に挙げた、加害者擁護派による規範的言明と同様に、前件が後件の論理的根拠となり得ていないうえに、ある不思議さも備えている。すなわち、加害者擁護派によれば「ある者が性的脈絡において期待することと、彼を殺すことが繋がっている」のであり、それがいかに頭の弱いものとなっているかを示すための仮説によれば、「ある者を殺害することによって、彼は虚構世界で存在できるようになる」のである。)
  また、この例が分かりにくいならば、次のように書き換えてもよい。(ただし、下記の文は「被害者が性的脈絡における期待をしていたならば、彼女を強姦、暴行、殺害してもよい」という命題とは異なり、不思議さを消失している。)

  ◇被害者が死にたいと思っているならば、彼女を殺害してもよい。

  この場合、法律の正しさを前提しないならば議論が巻き起こるであろうが、いずれにせよ(すぐ上の文にせよ、被害者擁護派の規範にせよ)、法律を前提するならば即誤謬となり、法律を前提しないならば認識論と存在論についての最終回答が提出されない限り正しく「なり得ない」のである。

  また、逮捕されなかった者や書類送検されなかった者を擁護する際の言明としては、そのまま「逮捕されなかったことや書類送検されなかったことが犯行を行っていないことと悪でないことの根拠である」としている。しかしながら、これについても前件から後件を推論することはできない。単に証拠不十分(証拠が揃わなかっただけ)や政治的な駆け引き(在日チョンの組織的妨害)という経緯があるだけかもしれないし、悪であるかどうかは法のみを基準にするのが正しいという判断も独断である。
# by l-game | 2009-03-02 06:05 | 懐疑論思想チップセット