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懐疑論思想チップセットを埋め込んでやる。


by l-game
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  (a) 殺人、暴行、強姦は物理的攻撃である。……公理1
  (A) 物理的攻撃は悪である。……仮定
  (b) 殺人、暴行、強姦は悪である。……(a)と(A)より
  (c) 身体は物理的である。……公理2
  (d) 精神的なものは身体に還元することができる。……公理3
  (e) 言葉によるいじめは精神的なものである。……公理4
  (1) 精神的なものは物理的なものに還元することができる。……(c)と(d)より
  (2) 言葉によるいじめは物理的攻撃である。……(e)と(1)より
  (3) 言葉によるいじめは悪である。……(A)と(2)より

※公理3(還元主義的唯物論)が弱い。
※しかし、日本人の場合にはほとんどがそうであると思うが、還元主義的唯物論を採用している者は上の結論を支持していることになる。
※なお、「言葉によるいじめ」は「誹謗」、「中傷」、「罵倒」、「悪口」、「嘲笑」などに置き換え可能であることは言うまでもない。
# by l-game | 2009-03-27 23:49 | 懐疑論思想チップセット
  私はある格言を思いついたのだが、その際にその格言と密接に関係している思想として「5分前行動仮説」を挙げた。
  この仮説は、何ごとも5分前に行動することが重要であるという、男版スイーツ(笑)とでも言うべき人生訓で、自己啓発系のアホ、バカの類が好んでいる考えである。
  実は、この思想には致命的な欠陥があるのだということに、先の格言と関連づけた5分後ぐらいに思い至った。(論理学者や分析哲学者ならば、この仮説を聞いた直後に誤謬に気づくであろう。)
  たとえば始業開始5分前には仕事に着手できる状態にしておけという事例を想定してもらいたい。この事例に5分前行動仮説を適用すれば、始業開始5分前の5分前には仕事に着手できる状態にするための何かをしておかねばならず、さらにその5分前には仕事に着手できる状態にするための何かをするための何かをしておかねばならない……となり、無限後退/無限遡行/無限背進に陥ってしまうのである。したがって、5分前行動なるものは少なくとも「この世界」では不可能であるということが帰結する。なぜなら、この世界では1日は24時間なのだから!(「!」の代わりに、無限後退に耐えられるはずがない、と続けてもよい。)
# by l-game | 2009-03-25 22:53 | 懐疑論思想チップセット
  フェミニストの主張の1つに「男が女に暴力を向けてはならない」という規範がある。これが誤謬であるのは以下のとおりである。

  (1) 「男が女に暴力を向けてはならない」という規範は男尊女卑主義の下で正当化される考えである。
  (2) 「男が女に暴力を向けてはならない」という規範は女の特権を主張する言明である。
  (3) したがって、性差廃絶主義/男女平等主義下で「男が女に暴力を向けてはならない」という規範を唱えるという行為は、一方で男尊女卑主義的な女の特権を維持しつつ、他方で男女間で平等を強いることであるため、結果として女尊男卑主義の表明となっている。
  (4) それゆえ、「性差廃絶主義者による『男が女に暴力を向けてはならない』」という規範的言明は、2重の差別を含むものとなっている。
  (5) 以上より、性差廃絶主義者は彼らの批判対象である男尊女卑主義者よりも差別的であるということが帰結する。
  (6) 性差廃絶主義者はまた、批判対象と同様に男尊女卑という自己中心的な行為を行っているうえに女尊男卑までも行っているにもかかわらず、批判対象を自己中心的であると批判するという重層的自己中心性を発露しているために、男尊女卑主義者よりも自己中心的であると言うことができる。
# by l-game | 2009-03-22 06:16 | 懐疑論思想チップセット

条件を無視した比較

  小沢一郎による検察批判を受けて与謝野馨が「日本の刑事訴訟手続きは世界で一番民主的で透明性が高い」として小沢一郎に反論したようであるということを2ちゃんねるで知ったが、これがマスゴミによる歪曲報道ではなく、本当のことであるとすれば誤謬である。
  たとえば、次のような例を用いればそのことがよく分かると思う。ある試験を100人が受け、そのなかの1人がもっとも良い点をとり、その点が10点だったとする。しかし、実はその試験の満点は100点であったのだとしたらどうだろうか。しかも、受験者の国におけるその試験問題の平均点が60点であるとしたらどうだろうか。
  つまり、与謝野馨が提示した見解は、条件概念を欠いた比較による優位性言明になっているのである。ここでは、比較対象となる他の国家の刑事訴訟手続きやすべての国家の刑事訴訟手続きがそもそも誤っていないかどうかという検討を行わねばなるまい。
  ある者(ここでは小沢一郎)がゴミ虫、クソ虫の類であるからと言って、彼のすべての言明が誤謬であるとは限らないのである!
# by l-game | 2009-03-22 06:15 | 懐疑論思想チップセット
  言語について1つの対立が姿を見せている。1つは言語不変派であり、もう1つは言語流転派である。
  前者の典型例は、現在の若者が使っている日本語はおかしいという人びとである。しかし、これは、最初に使われていた言語からまったく変化を許容しないという立場であるため、自らが使用する日本語もおかしいと言っていることになる。他方、後者は、そうした人びとを批判し、歴史を見れば言語は移ろってきたのだと主張する。しかしそうすると、あるものをAを言う人が1分後にそれをBと言い、さらに1分が経過したときにはCと言ったとしてもよいという主張も含むようになるため、言語が成立しなくなる。
  いずれも隘路であるように思える。これら2つの立場以外の第3の立場があるのだろうか。それとも、それら2つの立場の1つ以上に対する私の解釈が誤っているのだろうか。
# by l-game | 2009-03-22 06:14 | 懐疑論思想チップセット