懐疑論思想チップセットを埋め込んでやる。


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無限という概念に潜む問題に無頓着であるという事例の典型

  「一度あることは二度あり、二度あることは三度ある。」ならば、「三度あることは、四度ある。」はずである。すると、次のことが帰結する。
  「一度あることは無限度ある。」
  しかしながら、死後の世界というものがないならば、すなわち人は一度死ぬことによってそこでその人のすべてが終わりになるならば、その人が経験するあるできごとが無限度繰り返されるということはない。したがって、「一度あることは二度あり、二度あることは三度ある。」という命題の真理値は偽である。
  ただし、この議論には2つの前提が独断されている。1つは、肯定的背理法(「PならばQ」と「Qでない」から「Pでない」を導き出す、もしくは「QでないならばPでない」=「PならばQ」の対偶と「Qでない」から「Pでない」を導き出す推論規則)が正しいという前提であり、もう1つは、三浦俊彦が示唆した確率論的輪廻転生(『多宇宙と輪廻転生-人間原理のパラドクス-』を参照)が生じないという前提である。(肯定的背理法を独断的に前提するのが問題なのは、その規則に二値論理が含まれるためである。多値論理は行き過ぎであるにしても、真と偽に真偽決定不能を加えた三値論理が正しいという可能性の検討を要するであろう。)
  また、そのできごとが三度で終わる論理的根拠がある可能性についても無視されている。(もっとも、これまでその命題を主張してきた者には論証し得ないであろうが。)

  ところで、あるできごとが同一であるとは何が同一であるのか。たとえば、段差に躓いて転びそうになるというできごとが二度起こるというとき、直感的にはその文を分かったつもりになってしまうが、一度目と二度目の「段差に躓いて転びそうになるというできごと」は本当に同一のできごとなのか。少なくとも、すべてにおいて同一ではあるまい。(なぜ転びそうになったか、どのように転びそうになったか、転びそうになる度合い等々)
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by l-game | 2009-03-02 06:13 | 懐疑論思想チップセット